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Everyday is the best day of the year ;) と思うことにしよう。うん。

「"Japanese English"という発想」(江端智一氏)の記事を読んで

12月16日のEE Times Japanの記事 「"Japanese English"という発想」 を読みました。大手総合電機メーカーの江端智一さんという方がお書きになったものです。世の英語教員からすると、少し過激な内容を含むので、きっと受け付けない人もいるんだろうなと思ったけれど、彼の言わんとしていることはよく分かる!と思ったので、以下に記事の引用を入れながら、私個人の見解を述べていきたいと思います。 

私たちがTOEICの問題集を購入するのではなく、外国の彼らに「How to use “Japanese English”」というタイトルの本を購入させて、私たちの日本英語を彼らに勉強させるのです。そして、政府が行うべきグローバル化とは、文部科学省と外務省のタッグチームによる、この「日本英語」の海外への発信と宣言です。

外国人が日本人英語を使うわけではないので、How to use "Japanese English"ではなく、What "Japanese English" is(日本人英語とは何か)やHow Japanese use English(日本人はどのように英語を使うのか)といったタイトルのほうが適切だとは思うけれど、自分たちばかりが学ぶのではなく、相手にもこちらのこと(英語)を学んでもらうという江端さんの考え方は、対等なビジネスのつきあいにおいてなくてはならないものだと思いました。

江端私案の「日本英語」指導要領の概要と、その理由を以下に述べます。

(1)発音は、カタカナ発音で十分。発音記号の使用は廃止する

(2)日本語と同じように[a,i,u,e,o]の母音をベースとして発音する。子音を判別するような試験は廃止する

(3)イントネーションの位置、強弱は、どうでもよいものとする

(4)単数形、複数形、“the”“a”のようなオブジェクトの指定子という考え方は、無視または省略してもよいものとする

(5)自動詞に目的語を伴っても、また他動詞に不定詞を伴っても、どちらもよいものとする

(6)時制は、現在、未来、過去の3種類だけでよいものとする。完了形の履修はオプションとする。時制の一致も厳密に適用しないものとする

(7)使役受動態の主体は、動詞の種類に関わらず、前置詞の区別を行わず、全て“by”で受けてもよいものとする

(8)第4文型の2つの目的語は勿論、主語と目的語の位置が入れ替わってもよいものとする

(9)副詞と、形容詞は区別して使う必要はないものとする。名詞を副詞で形容しても良いものとする。また、英単語は、ローマ字表記で記載してもよいものとする

(10)可算名詞、不可算名詞は区別しないものとする

 なるほど。私も日本人なので、英語が上のようなものだったら「楽だろうな」と思うところもあります。その点では、江端さんは現存する日本人英語の特徴を見事に捉えているかと思います。ただ、「日本英語の指導要領」として上記を挙げることには賛同できないかな。

なぜなら、日本人英語は教育するものではなく、教育の結果、生まれるものだから。

わざわざ先生たちが日本人英語を日本人に教える必要はないと思うんです。ましてや、日本人ならこう使いましょう、なんて「日本式」を強制する必要もないかと思います。誰が、何を、どのような形で教えたとしても、結局のところ、日本語を母語とする人たちは日本人英語を発しますしね。

ところで、上に書かれている「江端案」の(1)~(10)の内容は、全部ではないけれど、ノンネイティブ(特にアジア)の英語に実際に見られる特徴でもあります。ただし、ノンネイティブの人たちはいつでもどんな場面でも独自の特徴をもった英語を話しているわけではなく、意識的に、または人によっては無意識的に使い分けをしています。

acrolect 【より対外的】←--→basilect 【より対内的】

(←--→は連続体)

その方の受けた教育レベルにもよりますが、acrolectレベルの英語からbasilectレベルの英語を行き来します。たとえば、フィリピン人が日本人と英語で話すときと、同じフィリピン人を相手に話すときとでは、その英語は異なります。同じフィリピン人同士であっても、母語が同じ人とそうでない人とでは、共有できる語彙なども違うはずです。「フィリピン英語」と一口にいっても、フィリピン的な特徴の濃いbasilectから、特徴の比較的薄いacrolectまで、さまざまなレベルのものが存在しているのです。

言葉をうまく使える人というのは、相手や場面やニーズに応じた言葉の調整、マネジメントができる人

なんじゃないかな、というのが持論です。いつも誰を相手にしても同じ言葉遣い、というのはバカっぽい。だから、いわゆる非難の対象となる日本人英語(日本的特徴の濃いもの)だって、使ってよい場面となるべく避けたほうがいい場面があるかと思います。ということで、私自身は学生のレベルに応じて(これ大事)、上の←--→の幅を広げる英語教育をしたいと思っています。使い手が、日本的な特徴を色濃くもつ英語を否定することなく、モデルとなっているネイティブの英語を絶対的な存在とすることもなく、←--→を自由に行き来できる能力が身に付くことが(私、教員としての)理想です。

とはいえ、実際に目の前にいる学生の英語力は、basilectレベルとも言い難いものがあるので、海外の人にbasilectレベルの日本人英語の実態を学んでもらうほうが、コミュニケーションは手っ取り早くうまくいくのかもしれません(半分、冗談です)。

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EE Times Japan「"Japanese English"という発想」

http://eetimes.jp/ee/articles/1312/16/news011_2.html

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