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Everyday is the best day of the year ;) と思うことにしよう。うん。

"私の"就職活動について(専任講師になるまで)

人目にさらされることは重々承知していますので、他人が読んでもわかるように書きますが、誰かに読んでいただくというよりは、「自分のために」ここに綴っておこうと思いました。苦しんだことを忘れずに、「お仕事をいただいている」という気持ちでありたいですし(受身の意味ではありません)、多くの方々に支えられて今の自分があることを、決して忘れたくないからです。

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私は特任講師というポストに就いて英語を教えていました。(その勤務校の場合)3年任期で、その後1年契約を最大2回まで更新できるというポスト。つまり、何も問題がなければ、最大5年間の任期というお仕事でした。

特任講師に就いた時、「5年間もこの大学にいられるんだ」と心の底から喜びました。それまでは、1年後がどうなるかも分らない非常勤のかけもちで生活をしていたので、この特任というポストは本当にありがたかったのです。

しかし、あるとき気づいたんです。「任期が切れたらどうなるんだろう?」と。調べてみると、私の勤務校では特任講師から専任講師への道があるわけでもなく(正確に言うと、専任のポストが空いたときに応募することはできるけれども、選考で優遇されることはない)、またそのような前例もないことが分かりました。これには正直、心底焦りました。

私の全力投球の就職活動はその焦りとともに始まりました。毎朝起きるとすぐにiPhoneやPCでJREC-INのサイトをチェック。漏れがないように、新しい公募の情報はメールで届くように登録もしていました。そして、カレンダーに書類の提出の締切日を書き込み、自分のスケジュールと照らし合わせて、この日までに仕上げれば提出に間に合う、という自分のなかの前倒しの締切日も書き込んでいました。

一つの大学に提出する書類の量は少なくありません。たいていは履歴書、研究業績書、主要業績3~5本、主要業績の要約、エッセイ1~2本です。そして、それぞれが日本語だったり英語だったり、またその両方で書くことが求められたりします。大学によって独自の書式が指定されていることも多く、一度仕上げたとしても、それを次の大学の公募にそのまま使うことはできませんでした(コピペ作業にも時間を取られるし、マクロも使えないことばかり)。

公募の数は春から夏にかけて徐々に増えていき、また冬になって少し増える感じです。とにかく授業をやりながら、またさまざまな業務にも携わりながら、提出書類を仕上げなくてはならないのです。私の場合は、

授業→採点・添削→翌日の授業準備→別の業務→公募書類の作成

というのが日課でした。最後の2~3年間は特に切羽詰まっていて、朝7:30に研究室に入り、夜23:00過ぎに帰宅していました。業績も積んでいかなくては書類選考すら通らないのに、この状態では論文執筆や研究発表になかなか時間を割くことができませんでした(言い訳に聞こえるかもしれませんが)。

そして・・・書類を提出するための郵便局に行く時間もなかなか取れませんでした。行動できたのは授業の空き時間と授業のない平日(週1)のみ。基本的にお金に余裕がないので、往復するとかなり距離のある郵便局に歩いていき(夏は暑く、冬は寒かった)、お金に余裕があるときのみ、タクシーを呼んで郵便局に行ったりしました。日中に郵便局に行けないときには、2駅先の夜間でも受け付けてくれる郵便局に行きました。

こんな毎日でした。

お金と言えば・・・たいていは「(簡易)書留」による提出が求められるので、1大学に書類を提出するのに1000円ほどかかりました。書類を出せば出すほど出費。仕方がないと分かっていても、専任とは違って地方での研究会や学会に行くのも自腹である私にとっては、とてもとても痛い出費でした。

焦る毎日、時間もお金も余裕のない毎日。

多くの人がこの苦しみを味わっていることも分かっていたし、いま専任の方々も同じような道を辿ってきたのだと言い聞かせ、 心が折れそうなときはなるべく同僚の先生方と会話をして心を和ませ、自分自身を奮い立たせていました。

紙1枚の不合格通知が届いても泣かなくなったのは3年くらい経ってからのこと。そして、その頃から書類選考に通り始めました。初めて書類選考に通った時の嬉しさは言葉では言い表せません。まるで面接にも通って内定までいただいたような気分になりました。

しかし、本当の苦しい闘いはここからでした。書類が通っても今度は面接に受からないんです。本当に面接は様々で、ここではその内容は割愛しますが、私自身の力不足が原因で落ちることもあれば、そうでない(と思われる)こともありました。これはもう先方との相性だなと感じました。業績とか優秀さとか、そういうことも大事かもしれないけれど、そもそも先方が思い描いている欲しい人材(前任者とまったく同じ分野を教えられる人、とか)に一致しなければならないし、私という人間、そして、私がこれまでしてきたことを好意的に思ってもらえなければどうしようもない、と気づいたんです。最初は落ちるたびに落ち込みました。私は誰からも必要とされていないんだ、私という人間はつまらない人間なんだ、一緒に働きたいと思ってもらえない魅力のない人間なんだ、教育界に残ってはいけない人間なんだと。

周りの専任の先生方から「お見合いのようなものだよ」というお言葉をよく頂いていましたが、それをなんとなく実感しはじめると、自分のことを否定して責め続けていたことから少し解放され、次第に面接に落ちることが以前ほど苦ではなくなっていきました(もちろん落ち込みはしましたし、反省点があればそれを挽回できるよう努力もしました)。

ようやく内定をいただいたのは特任講師最後の年でした。学会で地方に行くとき、空港の中で連絡をいただきました。喜ぶというより、腰が抜けてしまうんじゃないかと思うくらい、脱力したのを覚えています。このような感じで、私は就職活動に終止符を打ちました。

推薦書を執筆していただいたり連絡先を拝借するのに、本当に多くの先生方にお世話になりました。あまりの量にびっくりなさっていた方もいらっしゃると思いますが、それでもいつも「いいよ」の一言で引き受けてくださいました。なければ書類の応募すらできないわけですから、本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。

ところで、就職活動のことはかなりオープンにして、専門分野を問わずいろいろな方に話しました(恥ずかしかったし、ちょっとリスクもありましたが)。落ちた、苦しい、手こずっている、~で失敗した、など、その時の状況や感情を包み隠さず周囲に話したことで、たくさんのアドバイスをいただくことができ、それが私にとってはとても大きな力になりました。周囲にご迷惑をおかけしたことは非常に反省すべき点ですが、隠さなくてよかったなとも思っています。

人と比べたらだいぶ遅い専任スタートになったのかもしれませんが・・・なにより自分の好きな「教員の仕事」を続けられることを、とても嬉しく思います。